1980年9月17日、高知県生まれ。幼き頃より歌に親しみ、18歳で一度夢をあきらめ働き始める。祖母のはからいで歌手への夢を再び持つに至り、「NHKのど自慢」の土佐清水大会チャンピオンに。「故郷には歌手になるまで帰らない」と誓い25歳で上京。『祝い船』などで知られる作曲家・中村典正氏の下で修業し、2009年『人恋酒場』でデビュー。「ビタミンボイス」とも呼ばれる温かく朗らかな声質と高い歌唱力で人気を伸ばし2015年「NHK紅白歌合戦」に初出場、以降4年連続出場。今最も注目を集める演歌歌手である。
―1980年9月17日に、高知県南国市で産声を上げられた三山さん。幼い頃のお話を聞かせてください。
子どもの頃、歌を練習していた祖父の家がある山は、麓の町が見えないくらいの奥深い山でした。隣の家まで遠いので、何時まで唄っていても大丈夫(笑)。声は、山に育ててもらいましたね。
―少し成長した後、カラオケ大会などに出場し、数々の賞品をもらったそうですね。賞品はどんなものだったのでしょう?
オーブントースター、扇風機、電動歯ブラシ……。夏祭りの大会ではスイカ一玉とか。
大会で唄っているときは、「いいぞ〜!」って声がかかったり、見てくださっている方が笑顔だったり、というのがとても嬉しかったですね。もちろん、賞品も嬉しかったです(笑)。
―歌手を目指して、最初に『NHKのど自慢』に出られたのは?
18歳だったと思います。高知の県民文化ホールで「雪國」(吉幾三)を唄ったのですが、鐘ふたつでした。「♪追いかけて〜」くらいまで唄ったら「カーン」と鳴り始めて、「ああ、これはもうダメだな、素質がないんだな」と。もうあきらめて、歌をやめて、地元で働きながら暮らしていこう、母に女手ひとつで育ててもらっていましたから、家にお金を入れなくてはいけないし……と思いました。
―その後、詩吟を始められたんですね。
詩吟の世界に惹き込まれていくうちに、「やっぱり歌っていいな」と思うようになったんです。漢詩にふれて、理解できてくると、自分の考えはなんて小さいんだろう、小さなことで悔やんでいたんだなぁと思えてきたんです。
歌手になれないって簡単にあきらめてしまったけれど、ちょっと待てよ。3歳の頃から歌手になりたい夢を持っていたんじゃないのか? それがたった一回、鐘ふたつだっただけであきらめてしまうのか……。そう考えているうちに歌手への夢、歌への情熱を思い出しました。
―そしていよいよ、25歳の8月に上京ですね。周囲には「25歳で? 今さら?」という空気も少なからずあったことでしょう。
だからこそ、「デビューできるまでは故郷に戻れない」と思いました。負けて帰ると、「ほら、あそこの息子は歌手になるとか言っていたけど、戻って来たじゃないか」と母が後ろ指をさされてしまう。それだけは嫌だったんですよ。恥じることのないようにと育ててくれた母に、心配をかけ、迷惑をかけてしまう、それは絶対にあってはいかんな、と。
―上京の見送りにはお母さまはもちろん、ご友人も来てくださったようですね。
夜9時に、夜行バスに乗り込んで故郷を出発しました。泣きそうになりましたが、泣いている姿を見せたら負ける! という気持ちもありましたし、母を心配させたくなかった。「絶対、大丈夫だよ。見てごらん、涙のひと粒も流れてないだろう?」というふうに見せたかったんです。だから、バスに乗って網棚に荷物をあげているときに、「やばい泣きそう!」と思ったので、座ったらすぐにカーテンを閉めてしまいました。
―見送る側は「あれ……見えない……」ってポカンですよね(笑)。
ですよね(笑)。当時、自分のことしか考えていなかった。見送りに来てくれたみんなの気持ちを量る余裕がなかったんですね。僕としては、涙は見せたくなかった、その気持ちでいっぱいだったんです。
(2018年3月談/取材・構成「月刊 歌の手帖」編集部)
※「三山ひろしの世界」鑑賞ガイドより。一部抜粋。
※スペシャルインタビュー全文は、「三山ひろしの世界」鑑賞ガイドに収録されています。
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