「民謡をやろう」と決意したのは、23歳の時。
“親の七光り”と思われたくない一心だった。
【デビュー10周年記念インタビュー】 福田こうへいが歩んできた道のり
岩手の豊かな自然の中で育った少年時代。民謡は身近な存在だったけれど、歌手になりたいと思ったことはなかった、という福田こうへいさん。本格的に「民謡をやろう」と決意したのは、23歳のとき。“親の七光り”とは思われたくない、と、自分の力で結果を出すと心に誓ったと言います。
父は福田岩月(がんげつ)といって、東北を代表する民謡歌手でした。その父が役員を務めていた民謡の大会があって、母が「お父さんに内緒で出てみない? 驚かせてやろう」と言うので、初めて大会に出てみることにしたんです。思惑通り、私が歌うのを見て親父は驚いていました。実は、この初めて出場した大会で、十位に入賞することができたんです。でも、入賞者はステージに上がるように言われ、緞帳が下がったステージに集まったときに、陰から聞こえてきました。「岩月さんの息子さんらしいもんね」って。
確かに、親父はよく知られた民謡歌手でした。でも、その息子だからといって親に民謡を習ったことはなかったし、自分の力で取り組んだ大会だったんです。それなのに、他人からはそういう目で見られる。それが悔しくて、「だったら、自分で勉強して、優勝するまで大会に出てやる」と決めました。それが23歳のときです。
デビュー曲の「南部蝉しぐれ」は、生きていれば父が歌ったはずの歌。 【デビュー10周年記念インタビュー】 福田こうへいが歩んできた道のり
父親である福田岩月さんが司会を務めていた、岩手朝日テレビの番組『IAT出前カラオケ』。ところが、平成17年に福田岩月さんが52歳で急逝。年末に行われる番組のグランドチャンピオン大会の司会に、急きょ福田こうへいさんが抜擢されました。そして、作詞家の久仁(くに)京介氏がこの番組の審査員を務めた縁で、「南部蝉しぐれ」の詞ができあがります。
本来は父が歌うはずだったこの曲を、自分がレコーディングすることに─。平成22年に制作したプライベート盤は、地元中心に15,000枚以上を手売りし、全国デビューの声がかかりました。
デビュー曲の「南部蝉しぐれ」は、生きていれば父が歌ったはずの歌です。父は亡くなってしまったので、私が歌うことになりました。おかげさまでCDが売れて、レコード会社から本格的にデビューしませんかと誘われたんです。
デビュー前、おじいちゃん、おばあちゃんには、「五年で成功しなかったら戻るからね」と言って、説得しました。「南部蝉しぐれ」はゆっくりした感じの曲だったので、全国デビューしても売れるかどうかの自信はありませんでした。いろんな人にデモテープを聴いてもらいましたが、賛否両論。でも、父親が残してくれたチャンスなので、まずはやってみようと。
おかげさまで大きなヒットに恵まれましたが、これは自分だけで歌っているのではなくて、亡くなった親父と合わせた力で、こういうふうな結果になったんだと、今は思います。
東日本大震災。トラックをステージカーに改造して、
被災地の道の駅や仮設市場、スーパーなどの駐車場でも歌った。
【デビュー10周年記念インタビュー】 福田こうへいが歩んできた道のり
平成23年に起こった東日本大震災。交通手段も限られるなか、盛岡から三陸へ民謡の仲間たちと駆けつけたという、福田こうへいさん。自分にできることは何か─、それは民謡や演歌を歌って、皆を励ますこと。翌年のメジャーデビュー後も、自家発電機を積んだステージカーで、復興支援の無料コンサートを続けてきました。復興支援は、これからもライフワークとして続けていくと決めているそうです。
東日本大震災の復興支援は、東北出身者として続けていくべきことだと考えています。震災が起こった直後、まだ一カ月後くらいのときから、地元の人たちから声をかけてもらい、民謡の仲間たちと避難所などを訪ねて歌いました。
そこでは、「泣きたいけども泣かないで頑張ってる人がいるから、泣かせてあげてください」と言われたんです。でも、何を歌えばよいか、選曲が難しかったことを覚えています。
トラックをステージカーに改造して、被災地の道の駅や仮設市場、スーパーなどの駐車場でも歌いました。ステージがあれば、たいていの歌手はその横から登場しますが、私は集まってきてくれた皆さんの後方から登場したり、車椅子の方のところに行ったりしました。ステージが見えにくいところにいる人、なかなか動けない人のところを優先して、握手しながら歌うのが好きです。コンサートに来られない人がいるのであれば、こちらから行ってあげたい。民謡歌手のときからそういう気持ちでいます。
メジャーデビューをして10年が経ちますが、その気持ちは変わりません。恐らくこれから20年経っても変わらないでしょう。そういうことが大事だと思っています。
20年、30年後も今と同じように歌手として、いい歌を歌い続けていたい。 【デビュー10周年記念インタビュー】 福田こうへいが歩んできた道のり
聴いている人のニコニコと幸せそうな顔、楽しそうな顔を見られるのが、ステージ上にいる人の特権です。コンサートにいらっしゃるお客様は高齢の方が多いのですが、デビューから10年の間で、ご両親にお子さんが付き添い、親子で来てくれる方も多くなりました。お孫さんが車を運転して、チケットもお孫さんが用意して、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に観てくれる方もいます。親御さん、お子さん、お孫さんとつながっていく、そうした変化も嬉しく思います。
今は、「一生歌い続ける」という以外の目標という目標はありません。ただただ、20年、30年後も今と同じように歌手として、いい歌を歌い続けていたいと考えています。
いかがでしたか?
福田こうへいさんの歩んできた道のりや、歌への想いを知り、「その歌をもっと聴いてみたい!」と思われた方も多いのではないでしょうか。ここでは、福田こうへいさんの魅力を存分に味わえる全集をご紹介します。
※インタビューの内容は「福田こうへいの世界」鑑賞ガイドより抜粋。
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平成のロングヒット曲「南部蝉しぐれ」をはじめとするオリジナルヒット曲から、演歌、昭和の流行歌、股旅・任侠演歌、ルーツである民謡に至るまで、ジャンルを超えた日本のWいい歌Wをなんと160曲も収録。デビュー以来、ほぼすべての音源を収録した記念碑的全集です。
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