1970〜80年代を彩る、大ヒットソングの生みの親!阿久悠の世界に迫る
ヒット、ヒット、またヒット!
歌謡曲黄金時代を築いた、稀代のヒット・メーカー阿久悠の世界とは?
ヒット、ヒット、またヒット!
歌謡曲黄金時代を築いた、稀代のヒット・メーカー阿久悠の世界とは?
阿久悠(1937-2007)
1937年(昭和12年)2月7日、兵庫県津名郡鮎原村(現洲本市五色町)に生まれ、淡路島で育つ。本名・深田公之。高校卒業後に上京し、明治大学に入学。卒業後、広告代理店で働くかたわら、「阿久悠」のペンネームでテレビの構成作家としての活動をスタートさせる。作詞家としての本格的なデビュー作は、1967年のザ・モップス「朝まで待てない」。「白い蝶のサンバ」などのヒット曲を経て、1971年、「また逢う日まで」で自身初の日本レコード大賞を受賞し、日本を代表する作詞家となる。
また、同年には自ら企画書を書いたオーディション番組「スター誕生!」がスタートし、社会現象とも言われる大人気番組に。その後も「勝手にしやがれ」「北の宿から」「UFO」「雨の慕情」などで歌謡賞を総なめにし、日本歌謡界の黄金時代を築いた。2007年、惜しまれながら逝去。名曲は時を経て歌われ、愛され続けている。
実は、これから紹介するヒット曲は、すべて阿久悠の手によるもの。ひとりの人間が、それも同時期に書いているとは思えないほどの多種多様な表情を持つ作品たちです。当時、「阿久悠というのは、複数の人間で作詞活動をするユニット名などではないか?」なんていう疑惑があったというのも頷けます。
そんな阿久悠が活躍し、日本中が活気にあふれていた1970〜80年代…あなたはどんな日々をお過ごしでしたか?
あの頃は、演歌もアイドルソングも、あるいはジャンルわけなどできないような全く新しい流行り歌も、すべてが輝きを放っていました。
今、もう一度流行り歌をたどれば、あなた自身の思い出も燦々と輝きだすのではないでしょうか。
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阿久悠は、サインを求められると、文字そのものからストーリーが感じられるような独特の筆致で、名前のそばにそう書き添えたそうです。彼の言葉は、いつも歌い手のためにありました。70〜80年代、テレビの中で歌い、踊ったスターたちは、阿久悠の歌詞に彩られてさらに輝きを強くしました。
1971年に放送を開始した伝説のオーディション番組「スター誕生!」に、ちょっとコワモテの辛口審査員として登場していた阿久悠ですが、実は企画の段階からこの番組に携わっていたことを、あなたはご存知でしたでしょうか。「スタ誕」は、阿久悠が歌謡曲新時代の幕を開けるべく世の中に投げかけた、まったく新しいテレビ番組でした。番組の構想から始まり、審査員として未来のスターを選抜し、自ら作詞した歌で彼らをブレイクさせていく―。そんな阿久悠の手により、3人の美少女たちがそれぞれの個性を光らせて芸能界に飛び出し、花の中3トリオと呼ばれました。
「作詞家」の枠も「プロデューサー」の枠も越え、阿久悠が創ったのは「時代」そのものでした。スターを輝かせる何かを、人々が求める何かを、阿久悠は誰よりも知っていました。阿久悠の歌謡曲には、時代の匂いがあります。感触があります。
だからこそ今ふたたび触れれば、あの頃のすべてが、時を超えてあなたのもとで花ひらくことでしょう。
「UFO」「北の宿から」「青春時代」「また逢う日まで」「勝手にしやがれ」…歌謡曲の黄金時代、数えきれないほどのヒット曲を生んだ作詞家・阿久悠の作品がCD全集になりました。プロデュースした伝説的テレビ番組“スター誕生!”から生まれたアイドルのヒット曲はもちろん、阿久悠の真骨頂である「3分間のドラマ」がじっくりと楽しめる演歌まで、時代を創った名曲を集大成。収録曲数は178曲。登場するスターは115組。歌謡曲の黄金時代の熱気と興奮…色あせない青春のヒット曲をお届けします!
生涯に作詞した歌5000曲以上。「この歌も阿久悠だったの!?」と驚くほど、演歌・アイドル・フォーク・アニメソングまでバラエティ豊か。阿久悠の言葉の力、時代の熱気をまるごと楽しめる全集です。